さい かわ ふう ふ の 恋愛 事情 小説。 読んでみる?: 2006年10月

才川夫妻の恋愛事情

さい かわ ふう ふ の 恋愛 事情 小説

序論 ラノベの源流をたどると、筒井康隆作『時をかける少女』(1967年)、笹本祐一作『妖精作戦』(1984年)といった作品に行き着きます。 ラノベの歴史は、ファンタジーやSFを抜きにして語るわけにはいかないのです。 ラノベというジャンルの初期形成に大きな影響を与えたのは、 神坂一 かんざかはじめ作『スレイヤーズ!』(1990年)の出現ではないかと思います。 なぜなら、ほぼ同時期に水野良によって書かれたファンタジー小説『ロードス島戦記』(1988年)と比較すると、言葉遣いや用語といった様々な要素が、明らかに違っていることがわかるからです。 amazon. amazon. ですが、『ロードス島戦記』と『スレイヤーズ!』の文章を読み比べてみると、背広を着た紳士を思わせる整った文体の前者に対して、後者は流行のカジュアルな服を着た若者を思わせる、くだけたしゃべり方、擬音や(紙の)余白の多さが印象に残ります。 以下、この2作品の冒頭場面を引用します。 ニースは神殿の宿舎にある自室に、一人の客を迎えていた。 大地母神と崇められるマーファの聖印が刺繡された純白の神官衣をまとい、素朴な造りの椅子に浅く腰かけている。 五十余年の齢を重ねた人生の証として、豊かで艶やかだった黒髪は灰色になり、その顔には深い皺が何本も刻まれていた。 だが、老いた印象はまるで感じない。 その背はまっすぐに伸ばされ、近寄るだけで誰もが彼女の存在を感じ、振り返らせるような生命力を全身から発していた。 「旅に出るというの?」 ニースは彼女にしては滅多にないことだが、怪訝な表情を浮かべて客に問いかける。 「うむ、旅に出る」 小さなテーブル越しに向かいあって座っている客は、短くそう答えた。 人間の半分ほどの寸胴な体格。 体に不釣合いに大きい顔には、髪の色と同じ、灰色の髭が生えていた。 その先端は、丁寧に切り揃えられている。 客は大地の妖精ドワーフなのだ。 (水野良『ロードス島戦記』角川スニーカー文庫、1988) ほんの少しして、一人の男が森のなかから道に出てくる。 あたしの行く手をさえぎる形で。 「やっと追いついたぜ、嬢ちゃん」 頭から髪の毛が絶滅しているアイ・パッチのおっさんは、今日びゾンビやスケルトンでも使わないような、ふっるーいお決まりのセリフを吐いた。 上半身裸の、『私は盗賊の頭です!』と力説しているかのよーな風貌だった。 円月刀なんぞを持っているのが、いかにもそれもんである。 チャーム・ポイントは獣脂を塗ぬりたくったかのようにぎとぎとと油ぎった肌(ずげげげっ)。 (神坂一『スレイヤーズ!』富士見ファンタジア文庫、1990) こうして見比べると、同じファンタジー小説でもかなり雰囲気が違うことがわかります。 ここに一般小説とラノベを区別する秘密が隠されているのではないでしょうか。 『ロードス島戦記』の文体は夏目漱石やトーマス・マンのような古典文学作品を感じさせ、『スレイヤーズ!』の文体は2019年現在の、 川原礫 かわはられき作『ソードアート・オンライン』やアネコユサギ作『盾の勇者の成り上がり』といった最新のラノベの話題作に似ているのではないかと考えられます。 美少女の出ないラノベはない!? ずばり結論から言ってしまえば、「ラノベ=美少女」、と言っても過言ではありません。 もちろん例外はあります。 また、ラノベ以外の小説にも美少女は登場します。 それでも、ラノベにとって美少女とは絶対不可欠な要素であり、美少女のいないラノベとはカツのないカツ丼のようなものなのです。 美少女、というのもポイントです。 鎌池和馬 かまちかずま作『とある魔術の 禁書目録 インデックス』、 谷川流 たにがわながる作『涼宮ハルヒの憂鬱』といった有名なラノベを無作為に挙げると、ほとんどの場合、ヒロインや主要な女性登場人物は10代半ばから後半のティーンエージャーです。 竹宮ゆゆこ作『ゴールデンタイム』などヒロインが女子大生の作品もありますが、そうした例は多くはありませんし、竹宮ゆゆこ氏はどちらかというと一般文芸の分野で活躍している作家です。 様々なラノベを調べると、ほとんどの作品は女性キャラの割合が多く、さらにその年齢は10代半ばから後半であることがわかります。 これは、一般文芸との大きな違いと言ってよいでしょう。 さらに、10代の女性というだけでなく、ラノベに登場する美少女は現実の少女とも違っています。 ピーター・パンが空を自由に飛べて決して大人にならないネバーランドの住人であるのと同様に、ラノベの美少女は、美少女というカテゴリーの、現実の人間を超越した存在だとも言えます。 たとえば、 三雲岳斗 みくもがくと作『レベリオン』の 秋篠香澄 あきしのかすみは女子高生ながら博士号を持つ科学者で、 川口士 かわぐちつかさ作『魔弾の王と 戦姫 ヴァナディース』のエレオノーラ・ヴィルターリアは16歳という年齢ながら一国の領主で、武将でもあります。 10代の少女が、大人が就くであろう職業につき、魔法や超能力以上に非現実的な人間離れした腕力や知能で活躍するところは、まさしくラノベならではのファンタジー(幻想)と言えるでしょう。 ゲームのルールに沿って動く登場人物たち ラノベの登場人物は、野球のチームのように人数も立場もきっちりと決められている傾向があります。 これも当然例外はありますが、有名作品のキャラを見ていくと、おおむねラノベというゲームのルールに忠実に従っていることがわかります。 ラノベの主要登場人物が10人いたとすると、7人が美少女、1人が主人公の少年、1人がその友人の少年、残る1人が主人公に敵対する男性=恋敵の色男や悪人などとなります。 典型的なラノベの一つであるヤマグチノボル作『ゼロの使い魔』や前述の『ソードアート・オンライン』などは、そのキャラクター比率でしょう。 そして、登場するキャラは各々の役割に忠実に動きます。 試しに、ラノベキャラの類型をいくつか具体的に 挙げてみましょう。 主人公 例: 平賀才人 ひらがさいと(『ゼロの使い魔』)、坂井悠二(高橋弥七郎『灼眼のシャナ』) 平凡な高校生。 美少女たちに翻弄される日常を送る。 時に悲しい過去を持つ美少女を救ってあげたり、悪人の企みを打ち砕いたりする。 友人 例:ギーシュ・ド・グラモン(『ゼロの使い魔』)、 土御門元春 つちみかどもとはる(『とある魔術の禁書目録』) 軽口を叩くような性格が多い。 おもに主人公の悪友として振る舞う。 重要なポイントとして、主人公の恋敵となってヒロインたちの誰かに想いを寄せることはあまりない。 家庭的ヒロイン 例:シエスタ(『ゼロの使い魔』)、田村麻奈実(伏見 ふしみ つかさ『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』) 温厚かつ家庭的な性格な女の子。 主人公の幼馴染や同級生が多い。 朝、主人公を起こしに来たり弁当を作ってあげたりと世話を焼いたり、困っている主人公に優しく相談に乗ったりする。 不意に現れた非日常のヒロインに主人公を奪われる、恋愛の敗者となることが多い。 ツンデレヒロイン 例:ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール(『ゼロの使い魔』)、 御坂美琴 みさかみこと(『とある魔術の禁書目録』) ラノベの代名詞の一つともいえるキャラクター類型。 主人公にツンツンと素っ気ない態度を取るが、実はデレデレとした恋心を抱いている、というタイプで、メインヒロインになることが多い。 冬原パトラ作『異世界はスマートフォンとともに。 』(2015年刊行)、 伏瀬 ふせ作『転生したらスライムだった件』(2014年刊行)などで知られる、近年、小説投稿サイト『小説家になろう』に投稿されたラノベには、少ない傾向がある。 優等生ヒロイン 例: 七草 さえぐさ真由美(『魔法科高校の劣等生』)、 更識楯無 さらしきたてなし(『IS〈インフィニット・ストラトス〉』) 主人公がいるクラスの委員長、あるいは学校の生徒会長など。 眼鏡っ娘や凛とした美人かつ文武両道で公平無私な性格や、豪快で毅然とした性格などが多い。 これらの人物像は、ラノベを何作品も読んでいると見えてくる、あるいは美少女の多い漫画やアニメなどで見かけるイメージをまとめたものです。 完全にこれにぴったりと当てはまる、という作品があるとは限りません。 しかし、あるラノベを無作為に選び、登場人物の性格や言動を見ていくと、多くの場合この類型に当てはめることができます。 もちろん、類型があるのはラノベに限りません。 刑事ドラマには嫌味なエリート警官が出てきたりしますし、ホラー映画では浮かれ騒いでいるカップルが殺人鬼に殺されるなどのお約束があります。 重要なのは、ラノベの登場人物は、幼馴染なら小柄で目立たない容姿の柔和な顔つき、ツンデレなら金髪のツインテールで吊り目の気の強そうな顔つき、といった具合に、あるキャラクターを想像する時に非常に記号化してイメージしやすい構造になっている、という点です。 そうしたキャラたちが、怪物が出現する、テロリストが暗躍するなどといった問題の解決のために行動します。 その過程で、恋愛が大きな比重を占めるのも、ラノベの特徴です。 キャラクターを記号として把握するということについては、 東浩紀 あずまひろき著『動物化するポストモダン』の中でも分析されています。 たとえば、 かつては作品の背後に物語があった。 しかしその重要性が低下するとともに、オタク系文化ではキャラクターの重要性が増し、さらに今度はそのキャラクターを生み出す「萌え要素」のデータベースが整備されるようになった。 (東浩紀『動物化するポストモダン』講談社現代新書、2001年) 特定のキャラクターに「萌える」人々は関連商品を集中的に購入するので、制作者からすれば、作品そのものの質よりも、設定やイラストを通して萌えの欲望をいかに喚起するかが、企画の成否を直接に握ることになる。 ラノベは小説の分野において美少女というキーワードを軸に、新たなコンテンツ産業の一翼を担っているといえます。 ラノベ作品が漫画、アニメ、ゲームなどと盛んなメディアミックスが行われていることも、その表れでしょう。 東野圭吾や湊かなえといった一般文芸の有名作家の作品は映画化やドラマ化は盛んに行われていますが、アニメやゲームになる話は、多くは耳にしません。 そこでも、コンテンツの住み分けが行われていることがわかります。 「萌え絵」と文体で形作られる「漫画・アニメ的な小説」 もう一つラノベに不可欠な要素を挙げるとすれば、やはり「萌え絵」でしょう。 多くのラノベは、綾波レイや初音ミクといった有名キャラクターで知られるような美少女の萌え絵を表紙や挿絵にしています。 西尾維新作『 化物語 ばけものがたり』のように挿絵のないラノベもありますが、これは一般文芸に分類されることもある作品であるため、前述の『ゼロの使い魔』や『ソードアート・オンライン』のような典型的なラノベとは違うと言えるでしょう。 萌え絵がラノベの顔であり、萌え絵なくしてはラノベは成立しないと言い切ってしまうこともできるはずです。 少なくとも、もし萌え絵がなかったら、今日のラノベはまったく違った様相を見せていたことでしょう。 その萌え絵と、漫画やアニメのキャラクターのしゃべり方をそのまま文章にしたような、くだけた会話や擬音、感嘆符の多く含まれた文体とが、青春小説、あるいは児童小説も含む一般文芸とラノベとの大きな違いといえます。 くだけた会話であると同時にラノベキャラの会話はどこか台本を読んでいるような、現実の人間ならあまりしないようなしゃべり方をします。 また、ギャグ漫画を思わせる大げさな動作やボケとツッコミといった要素も、ラノベの特徴の一つです。 若者同士がじゃれ合う場面で、 賀東招二 がとうしょうじ作『フルメタル・パニック!』のように女の子がハリセン(日本の漫才・コントなどで用いられる小道具)で男の子をひっぱたく、という描写は一般文芸ではあまりされないでしょう。 さらに『動物化するポストモダン』では 、「デ・ジ・キャラット」、通称「でじこ」と呼ばれるキャラクターをもとに萌え要素の分析をしていて、その中で、でじこが「そうだにょ」「疲れたにょ」という独特の語尾をつけて話す点を萌え要素として挙げています。 ラノベではありませんが、ゲーム『艦隊これくしょん』に登場するヒロインの1人の「 初春 はつはる」は、一人称が「 妾 わらわ」で、「わらわが初春じゃ。 よろしく頼みますぞ」と、老婦人のような口調で話します。 『とある魔術の禁書目録』を読めば、そのような奇抜な口調が山ほど出てきます。 前述の、「ラノベはツンデレや委員長といった役割に忠実である」ということとも合わせて考えると、ラノベの文体の特徴とは、意図的に戦隊ヒーローもののような現実にはありえない世界観をもとにした芝居を演じることだといえます。 役を演じることで、作品世界を現実の世界と意識的に切り離す。 この構造はラノベの特徴で、漫画・アニメ・ゲームなどの「オタク・コンテンツ 」の特徴だとも言えるでしょう。 コミックマーケットでコスプレイヤーたちが漫画やアニメのキャラに扮装するのは、この「演じる」という行為の一つの実例です。 ゲームでいえば、『ドラゴンクエスト』などがあてはまるジャンル、RPG(=ロールプレイングゲーム)です。 そして、オタク・コンテンツにおいて主流となるゲームは、キャラクターが動くRPGです。 株式会社ヒナプロジェクトによって小説投稿サイト「小説家になろう」 (通称:なろう)が設立されたことが大きな転機となります。 無料で作品の投稿・閲覧ができるサイトですが、多くの作品は美少女が登場するラノベです。 2016年に 暁 あかつきなつめ作『この素晴らしい世界に祝福を!』と 長月達平 ながつきたっぺい作『Re:ゼロから始める異世界生活』の、「小説家になろう」発の2作品がアニメ化され、話題になりました。 以後、冬原パトラ作『異世界はスマートフォンとともに。 』、 伏瀬 ふせ作『転生したらスライムだった件』などの有名作品が続々とアニメ化、投稿作品の書籍化も数多く行われてラノベ界の新たな潮流となっていきました。 通称「なろう系」と呼ばれ、ラノベファンの間でも議論を呼んでいる非常に新しいジャンルです。 何が新しいかというと、「なろう系」はそのほとんどに共通する特徴として、主人公が事故死して生まれ変わったり生身のまま転移したりして、現代日本からファンタジー風の異世界へ転移することがあります。 異世界への転移話自体は『ゼロの使い魔』の前例がありますし、『ナルニア国物語』やミヒャエル・エンデ作『はてしない物語』など、さらに古い例もあります。 けれど、「小説家になろう」に投稿され、書籍として出版されたラノベのほとんど全部が異世界転生ものという状況は、さすがに前例がないのではないでしょうか。 この新しさから「なろう系」として時には否定的な意味を込めて呼ばれ、同じラノベファンからも怪しまれたり嫌われることもあるジャンルですが、2010年代辺りから急速に読者の注目を集めたことは確かです。 「なろう系」は、それまでのラノベ以上に厳密なルールを持っています。 まず、多くが異世界に転生すること、その際に神様から強力な魔法の力をもらうことがあります。 ほとんど何の力も持たず異世界へ投げ出されて散々苦労する、といった作品はあまり目にしません。 また、主人公が優遇されることを読者が強く求めることが多いという特徴もあります。 「今のなろうで受けているもの」という言葉でgoogle検索をかけると出てくるページでは、「なろう系」読者がいかにストレスを嫌い、主人公が大勢の美少女に慕われて幸せになる展開を求めているかが細々と書かれています。 興味深いのは、その中に「転生前の主人公は孤児、苛められっこ、引きこもり、ニート、フリーター、ブラック企業勤務だった設定を付けると良い」と書かれていることです。 つまり、「なろう系」は現代日本で社会的、金銭的に満たされていない、あるいは精神的にゆとりのない読者層がストレス解消のためのツールとして求めているのです。 さらに、「なろう系」は、文字通り異世界へ旅立ち、そこで幸せになりたいというストレートな願望が込められた作品群だといえます。 触れたことのない読者にとって入り込みづらいラノベというジャンルの中でも、特に先鋭化されているのが「なろう系」です。 人によっては、まったく理解できなかったり嫌悪感を抱いたりすることもあるかも知れません。 しかしそこで注目したいのは、そういう作品群が、数100万部も売り上げているという現実です。 「なろう系」もまたラノベの中でも一定の支持を得ているということです。 ラノベの世界の入り口を開くには ラノベとは何かということについては千差万別な意見があり、分析・考察する本も多く出版されていますが、ラノベとは「現実とは違う虚構の世界の物語」だと思います。 ファンタジーやSFを起源とするという出自からも言えることですが、それだけでなく、登場する人間の話し方や見た目など、単に魔法やSF的要素だけではない「現実にこんな人間はいない」という意味でのファンタジーでもあります。 たとえば、少女漫画でよく出てくるシチュエーションである、「女の子が食パンをくわえて走っていたら曲がり角で男の子とぶつかる」というようなことは現実にはもちろん、現実をモデルにした小説でもありえないことで、ラノベでよくある、優しいだけが取り柄の冴えない男の子が大勢の美少女と仲良くなることもありえないことです。 では、ありえないことはくだらないことかといえば、それは違います。 もしも本当にそうであるなら、神話や伝説などは人間社会から消えてしまうはずです。 ありえないとわかっていても、その幻想を楽しみ、幻想に親しむのが人間なのではないでしょうか。 空を飛び炎を吐く巨大な竜も、鎧に身を包んで魔法の槍を軽々と振るう凛々しい戦乙女も、現実にはいなくても素晴らしいものなのです。 ラノベはなじみのない読者には不思議に見えて、どこが入り口でどうやって入り込めばいいのか戸惑うものかもしれません。 しかし、ラノベはエンターテインメント作品であり、ただ虚心に楽しめばよいのです。 この記事をきっかけに、あなたもラノベの世界に入ってみるのはいかがですか?.

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さい かわ ふう ふ の 恋愛 事情 小説

序論 ラノベの源流をたどると、筒井康隆作『時をかける少女』(1967年)、笹本祐一作『妖精作戦』(1984年)といった作品に行き着きます。 ラノベの歴史は、ファンタジーやSFを抜きにして語るわけにはいかないのです。 ラノベというジャンルの初期形成に大きな影響を与えたのは、 神坂一 かんざかはじめ作『スレイヤーズ!』(1990年)の出現ではないかと思います。 なぜなら、ほぼ同時期に水野良によって書かれたファンタジー小説『ロードス島戦記』(1988年)と比較すると、言葉遣いや用語といった様々な要素が、明らかに違っていることがわかるからです。 amazon. amazon. ですが、『ロードス島戦記』と『スレイヤーズ!』の文章を読み比べてみると、背広を着た紳士を思わせる整った文体の前者に対して、後者は流行のカジュアルな服を着た若者を思わせる、くだけたしゃべり方、擬音や(紙の)余白の多さが印象に残ります。 以下、この2作品の冒頭場面を引用します。 ニースは神殿の宿舎にある自室に、一人の客を迎えていた。 大地母神と崇められるマーファの聖印が刺繡された純白の神官衣をまとい、素朴な造りの椅子に浅く腰かけている。 五十余年の齢を重ねた人生の証として、豊かで艶やかだった黒髪は灰色になり、その顔には深い皺が何本も刻まれていた。 だが、老いた印象はまるで感じない。 その背はまっすぐに伸ばされ、近寄るだけで誰もが彼女の存在を感じ、振り返らせるような生命力を全身から発していた。 「旅に出るというの?」 ニースは彼女にしては滅多にないことだが、怪訝な表情を浮かべて客に問いかける。 「うむ、旅に出る」 小さなテーブル越しに向かいあって座っている客は、短くそう答えた。 人間の半分ほどの寸胴な体格。 体に不釣合いに大きい顔には、髪の色と同じ、灰色の髭が生えていた。 その先端は、丁寧に切り揃えられている。 客は大地の妖精ドワーフなのだ。 (水野良『ロードス島戦記』角川スニーカー文庫、1988) ほんの少しして、一人の男が森のなかから道に出てくる。 あたしの行く手をさえぎる形で。 「やっと追いついたぜ、嬢ちゃん」 頭から髪の毛が絶滅しているアイ・パッチのおっさんは、今日びゾンビやスケルトンでも使わないような、ふっるーいお決まりのセリフを吐いた。 上半身裸の、『私は盗賊の頭です!』と力説しているかのよーな風貌だった。 円月刀なんぞを持っているのが、いかにもそれもんである。 チャーム・ポイントは獣脂を塗ぬりたくったかのようにぎとぎとと油ぎった肌(ずげげげっ)。 (神坂一『スレイヤーズ!』富士見ファンタジア文庫、1990) こうして見比べると、同じファンタジー小説でもかなり雰囲気が違うことがわかります。 ここに一般小説とラノベを区別する秘密が隠されているのではないでしょうか。 『ロードス島戦記』の文体は夏目漱石やトーマス・マンのような古典文学作品を感じさせ、『スレイヤーズ!』の文体は2019年現在の、 川原礫 かわはられき作『ソードアート・オンライン』やアネコユサギ作『盾の勇者の成り上がり』といった最新のラノベの話題作に似ているのではないかと考えられます。 美少女の出ないラノベはない!? ずばり結論から言ってしまえば、「ラノベ=美少女」、と言っても過言ではありません。 もちろん例外はあります。 また、ラノベ以外の小説にも美少女は登場します。 それでも、ラノベにとって美少女とは絶対不可欠な要素であり、美少女のいないラノベとはカツのないカツ丼のようなものなのです。 美少女、というのもポイントです。 鎌池和馬 かまちかずま作『とある魔術の 禁書目録 インデックス』、 谷川流 たにがわながる作『涼宮ハルヒの憂鬱』といった有名なラノベを無作為に挙げると、ほとんどの場合、ヒロインや主要な女性登場人物は10代半ばから後半のティーンエージャーです。 竹宮ゆゆこ作『ゴールデンタイム』などヒロインが女子大生の作品もありますが、そうした例は多くはありませんし、竹宮ゆゆこ氏はどちらかというと一般文芸の分野で活躍している作家です。 様々なラノベを調べると、ほとんどの作品は女性キャラの割合が多く、さらにその年齢は10代半ばから後半であることがわかります。 これは、一般文芸との大きな違いと言ってよいでしょう。 さらに、10代の女性というだけでなく、ラノベに登場する美少女は現実の少女とも違っています。 ピーター・パンが空を自由に飛べて決して大人にならないネバーランドの住人であるのと同様に、ラノベの美少女は、美少女というカテゴリーの、現実の人間を超越した存在だとも言えます。 たとえば、 三雲岳斗 みくもがくと作『レベリオン』の 秋篠香澄 あきしのかすみは女子高生ながら博士号を持つ科学者で、 川口士 かわぐちつかさ作『魔弾の王と 戦姫 ヴァナディース』のエレオノーラ・ヴィルターリアは16歳という年齢ながら一国の領主で、武将でもあります。 10代の少女が、大人が就くであろう職業につき、魔法や超能力以上に非現実的な人間離れした腕力や知能で活躍するところは、まさしくラノベならではのファンタジー(幻想)と言えるでしょう。 ゲームのルールに沿って動く登場人物たち ラノベの登場人物は、野球のチームのように人数も立場もきっちりと決められている傾向があります。 これも当然例外はありますが、有名作品のキャラを見ていくと、おおむねラノベというゲームのルールに忠実に従っていることがわかります。 ラノベの主要登場人物が10人いたとすると、7人が美少女、1人が主人公の少年、1人がその友人の少年、残る1人が主人公に敵対する男性=恋敵の色男や悪人などとなります。 典型的なラノベの一つであるヤマグチノボル作『ゼロの使い魔』や前述の『ソードアート・オンライン』などは、そのキャラクター比率でしょう。 そして、登場するキャラは各々の役割に忠実に動きます。 試しに、ラノベキャラの類型をいくつか具体的に 挙げてみましょう。 主人公 例: 平賀才人 ひらがさいと(『ゼロの使い魔』)、坂井悠二(高橋弥七郎『灼眼のシャナ』) 平凡な高校生。 美少女たちに翻弄される日常を送る。 時に悲しい過去を持つ美少女を救ってあげたり、悪人の企みを打ち砕いたりする。 友人 例:ギーシュ・ド・グラモン(『ゼロの使い魔』)、 土御門元春 つちみかどもとはる(『とある魔術の禁書目録』) 軽口を叩くような性格が多い。 おもに主人公の悪友として振る舞う。 重要なポイントとして、主人公の恋敵となってヒロインたちの誰かに想いを寄せることはあまりない。 家庭的ヒロイン 例:シエスタ(『ゼロの使い魔』)、田村麻奈実(伏見 ふしみ つかさ『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』) 温厚かつ家庭的な性格な女の子。 主人公の幼馴染や同級生が多い。 朝、主人公を起こしに来たり弁当を作ってあげたりと世話を焼いたり、困っている主人公に優しく相談に乗ったりする。 不意に現れた非日常のヒロインに主人公を奪われる、恋愛の敗者となることが多い。 ツンデレヒロイン 例:ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール(『ゼロの使い魔』)、 御坂美琴 みさかみこと(『とある魔術の禁書目録』) ラノベの代名詞の一つともいえるキャラクター類型。 主人公にツンツンと素っ気ない態度を取るが、実はデレデレとした恋心を抱いている、というタイプで、メインヒロインになることが多い。 冬原パトラ作『異世界はスマートフォンとともに。 』(2015年刊行)、 伏瀬 ふせ作『転生したらスライムだった件』(2014年刊行)などで知られる、近年、小説投稿サイト『小説家になろう』に投稿されたラノベには、少ない傾向がある。 優等生ヒロイン 例: 七草 さえぐさ真由美(『魔法科高校の劣等生』)、 更識楯無 さらしきたてなし(『IS〈インフィニット・ストラトス〉』) 主人公がいるクラスの委員長、あるいは学校の生徒会長など。 眼鏡っ娘や凛とした美人かつ文武両道で公平無私な性格や、豪快で毅然とした性格などが多い。 これらの人物像は、ラノベを何作品も読んでいると見えてくる、あるいは美少女の多い漫画やアニメなどで見かけるイメージをまとめたものです。 完全にこれにぴったりと当てはまる、という作品があるとは限りません。 しかし、あるラノベを無作為に選び、登場人物の性格や言動を見ていくと、多くの場合この類型に当てはめることができます。 もちろん、類型があるのはラノベに限りません。 刑事ドラマには嫌味なエリート警官が出てきたりしますし、ホラー映画では浮かれ騒いでいるカップルが殺人鬼に殺されるなどのお約束があります。 重要なのは、ラノベの登場人物は、幼馴染なら小柄で目立たない容姿の柔和な顔つき、ツンデレなら金髪のツインテールで吊り目の気の強そうな顔つき、といった具合に、あるキャラクターを想像する時に非常に記号化してイメージしやすい構造になっている、という点です。 そうしたキャラたちが、怪物が出現する、テロリストが暗躍するなどといった問題の解決のために行動します。 その過程で、恋愛が大きな比重を占めるのも、ラノベの特徴です。 キャラクターを記号として把握するということについては、 東浩紀 あずまひろき著『動物化するポストモダン』の中でも分析されています。 たとえば、 かつては作品の背後に物語があった。 しかしその重要性が低下するとともに、オタク系文化ではキャラクターの重要性が増し、さらに今度はそのキャラクターを生み出す「萌え要素」のデータベースが整備されるようになった。 (東浩紀『動物化するポストモダン』講談社現代新書、2001年) 特定のキャラクターに「萌える」人々は関連商品を集中的に購入するので、制作者からすれば、作品そのものの質よりも、設定やイラストを通して萌えの欲望をいかに喚起するかが、企画の成否を直接に握ることになる。 ラノベは小説の分野において美少女というキーワードを軸に、新たなコンテンツ産業の一翼を担っているといえます。 ラノベ作品が漫画、アニメ、ゲームなどと盛んなメディアミックスが行われていることも、その表れでしょう。 東野圭吾や湊かなえといった一般文芸の有名作家の作品は映画化やドラマ化は盛んに行われていますが、アニメやゲームになる話は、多くは耳にしません。 そこでも、コンテンツの住み分けが行われていることがわかります。 「萌え絵」と文体で形作られる「漫画・アニメ的な小説」 もう一つラノベに不可欠な要素を挙げるとすれば、やはり「萌え絵」でしょう。 多くのラノベは、綾波レイや初音ミクといった有名キャラクターで知られるような美少女の萌え絵を表紙や挿絵にしています。 西尾維新作『 化物語 ばけものがたり』のように挿絵のないラノベもありますが、これは一般文芸に分類されることもある作品であるため、前述の『ゼロの使い魔』や『ソードアート・オンライン』のような典型的なラノベとは違うと言えるでしょう。 萌え絵がラノベの顔であり、萌え絵なくしてはラノベは成立しないと言い切ってしまうこともできるはずです。 少なくとも、もし萌え絵がなかったら、今日のラノベはまったく違った様相を見せていたことでしょう。 その萌え絵と、漫画やアニメのキャラクターのしゃべり方をそのまま文章にしたような、くだけた会話や擬音、感嘆符の多く含まれた文体とが、青春小説、あるいは児童小説も含む一般文芸とラノベとの大きな違いといえます。 くだけた会話であると同時にラノベキャラの会話はどこか台本を読んでいるような、現実の人間ならあまりしないようなしゃべり方をします。 また、ギャグ漫画を思わせる大げさな動作やボケとツッコミといった要素も、ラノベの特徴の一つです。 若者同士がじゃれ合う場面で、 賀東招二 がとうしょうじ作『フルメタル・パニック!』のように女の子がハリセン(日本の漫才・コントなどで用いられる小道具)で男の子をひっぱたく、という描写は一般文芸ではあまりされないでしょう。 さらに『動物化するポストモダン』では 、「デ・ジ・キャラット」、通称「でじこ」と呼ばれるキャラクターをもとに萌え要素の分析をしていて、その中で、でじこが「そうだにょ」「疲れたにょ」という独特の語尾をつけて話す点を萌え要素として挙げています。 ラノベではありませんが、ゲーム『艦隊これくしょん』に登場するヒロインの1人の「 初春 はつはる」は、一人称が「 妾 わらわ」で、「わらわが初春じゃ。 よろしく頼みますぞ」と、老婦人のような口調で話します。 『とある魔術の禁書目録』を読めば、そのような奇抜な口調が山ほど出てきます。 前述の、「ラノベはツンデレや委員長といった役割に忠実である」ということとも合わせて考えると、ラノベの文体の特徴とは、意図的に戦隊ヒーローもののような現実にはありえない世界観をもとにした芝居を演じることだといえます。 役を演じることで、作品世界を現実の世界と意識的に切り離す。 この構造はラノベの特徴で、漫画・アニメ・ゲームなどの「オタク・コンテンツ 」の特徴だとも言えるでしょう。 コミックマーケットでコスプレイヤーたちが漫画やアニメのキャラに扮装するのは、この「演じる」という行為の一つの実例です。 ゲームでいえば、『ドラゴンクエスト』などがあてはまるジャンル、RPG(=ロールプレイングゲーム)です。 そして、オタク・コンテンツにおいて主流となるゲームは、キャラクターが動くRPGです。 株式会社ヒナプロジェクトによって小説投稿サイト「小説家になろう」 (通称:なろう)が設立されたことが大きな転機となります。 無料で作品の投稿・閲覧ができるサイトですが、多くの作品は美少女が登場するラノベです。 2016年に 暁 あかつきなつめ作『この素晴らしい世界に祝福を!』と 長月達平 ながつきたっぺい作『Re:ゼロから始める異世界生活』の、「小説家になろう」発の2作品がアニメ化され、話題になりました。 以後、冬原パトラ作『異世界はスマートフォンとともに。 』、 伏瀬 ふせ作『転生したらスライムだった件』などの有名作品が続々とアニメ化、投稿作品の書籍化も数多く行われてラノベ界の新たな潮流となっていきました。 通称「なろう系」と呼ばれ、ラノベファンの間でも議論を呼んでいる非常に新しいジャンルです。 何が新しいかというと、「なろう系」はそのほとんどに共通する特徴として、主人公が事故死して生まれ変わったり生身のまま転移したりして、現代日本からファンタジー風の異世界へ転移することがあります。 異世界への転移話自体は『ゼロの使い魔』の前例がありますし、『ナルニア国物語』やミヒャエル・エンデ作『はてしない物語』など、さらに古い例もあります。 けれど、「小説家になろう」に投稿され、書籍として出版されたラノベのほとんど全部が異世界転生ものという状況は、さすがに前例がないのではないでしょうか。 この新しさから「なろう系」として時には否定的な意味を込めて呼ばれ、同じラノベファンからも怪しまれたり嫌われることもあるジャンルですが、2010年代辺りから急速に読者の注目を集めたことは確かです。 「なろう系」は、それまでのラノベ以上に厳密なルールを持っています。 まず、多くが異世界に転生すること、その際に神様から強力な魔法の力をもらうことがあります。 ほとんど何の力も持たず異世界へ投げ出されて散々苦労する、といった作品はあまり目にしません。 また、主人公が優遇されることを読者が強く求めることが多いという特徴もあります。 「今のなろうで受けているもの」という言葉でgoogle検索をかけると出てくるページでは、「なろう系」読者がいかにストレスを嫌い、主人公が大勢の美少女に慕われて幸せになる展開を求めているかが細々と書かれています。 興味深いのは、その中に「転生前の主人公は孤児、苛められっこ、引きこもり、ニート、フリーター、ブラック企業勤務だった設定を付けると良い」と書かれていることです。 つまり、「なろう系」は現代日本で社会的、金銭的に満たされていない、あるいは精神的にゆとりのない読者層がストレス解消のためのツールとして求めているのです。 さらに、「なろう系」は、文字通り異世界へ旅立ち、そこで幸せになりたいというストレートな願望が込められた作品群だといえます。 触れたことのない読者にとって入り込みづらいラノベというジャンルの中でも、特に先鋭化されているのが「なろう系」です。 人によっては、まったく理解できなかったり嫌悪感を抱いたりすることもあるかも知れません。 しかしそこで注目したいのは、そういう作品群が、数100万部も売り上げているという現実です。 「なろう系」もまたラノベの中でも一定の支持を得ているということです。 ラノベの世界の入り口を開くには ラノベとは何かということについては千差万別な意見があり、分析・考察する本も多く出版されていますが、ラノベとは「現実とは違う虚構の世界の物語」だと思います。 ファンタジーやSFを起源とするという出自からも言えることですが、それだけでなく、登場する人間の話し方や見た目など、単に魔法やSF的要素だけではない「現実にこんな人間はいない」という意味でのファンタジーでもあります。 たとえば、少女漫画でよく出てくるシチュエーションである、「女の子が食パンをくわえて走っていたら曲がり角で男の子とぶつかる」というようなことは現実にはもちろん、現実をモデルにした小説でもありえないことで、ラノベでよくある、優しいだけが取り柄の冴えない男の子が大勢の美少女と仲良くなることもありえないことです。 では、ありえないことはくだらないことかといえば、それは違います。 もしも本当にそうであるなら、神話や伝説などは人間社会から消えてしまうはずです。 ありえないとわかっていても、その幻想を楽しみ、幻想に親しむのが人間なのではないでしょうか。 空を飛び炎を吐く巨大な竜も、鎧に身を包んで魔法の槍を軽々と振るう凛々しい戦乙女も、現実にはいなくても素晴らしいものなのです。 ラノベはなじみのない読者には不思議に見えて、どこが入り口でどうやって入り込めばいいのか戸惑うものかもしれません。 しかし、ラノベはエンターテインメント作品であり、ただ虚心に楽しめばよいのです。 この記事をきっかけに、あなたもラノベの世界に入ってみるのはいかがですか?.

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天保十二年(1841)五月十五日、天保改革は将軍の上意をもって幕をあけた。 将軍家慶は諸老中を居間に召集して、享保・寛政の改革の精神にのっとって幕政の改革を断行するように訓示したが、これは改革をあくまで将軍の発意にもとづく形にして成果をあげようとする忠邦の演出であり、寛政改革における定信のまねである。 忠邦は別に家慶に呈出した上書のなかで、文政期このかた都市の奢侈はきわまった感があり、病気でいえば慢性化した難病のようなものである、このさい劇薬をもちいて根本的な治療を加えないと命取りになる、その荒療治によって世態は一変し、今後三、四十年はもつであろう、たとえそれによって城下が一時衰微し,商人の離散することがあってもやむをえないという不退転の決意を表明している。 ( 中略 ) 二年余の短期間にこれだけ多くの町触がだされた例はこれまでにないし、しかもその徹底をはかって酷吏が跳梁をきわめたのも、未曾有のことであった。 「 此天保の御改革ほどめざましきはなし。 むかし享保、寛政の御改革を、いみじき事にきゝわたりしかど、此度のごとくにはあらじとぞ思ふ。 かの丑の春雲がくれ 家斉の死をさす ありしより、やがて世の中眉に火をつけるがごとく、俄 にわか に事あらたまりて、士農工商おしからめて、おのゝくばかりなり」 『寝ぬ夜のすさび』 というのが、当時の士民の偽らない感想であった。 (北島正元『日本の歴史18・幕藩制の苦悶』1974年、中央公論社 中公文庫 、P. 1794〜1851)による 天保の改革(1841〜1843)が断行されます。 忠邦は、改革を実行する自らの手足として、保守派グループと進歩派グループという相反する官僚勢力をその支配に取り込みました。 性格を異にするグループは、改革では不協和音を奏でることになります。 ちなみに保守派 三羽烏 は 鳥井耀蔵 とりいようぞう。南町奉行。 鳥居は甲斐守だったので名前の「耀」蔵と受領名の「甲斐」守から「妖怪」と呼ばれました 、渋川六蔵 しぶかわろくぞう。天文方役人 、後藤三右衛門 ごとうさんえもん。銀座年寄 ら、進歩派 幕府三兄弟 は 川路聖謨 かわじとしあきら。小普請奉行 、 江川英竜 えがわひでたつ。伊豆韮山 にらやま 代官 、羽倉外記 はくらげき。勘定吟味役 らの人びとでした。 百姓一揆・打ちこわしの頻発、イギリス・ロシア等列強の接近という内憂外患が深刻化する中、幕政はすでに行き詰まっていました。 忠邦はこうした状況を、年来の悪病に苦しむ病人にたとえます。 そして、不治の病には劇薬を投与しなければとても効験など望めない、という非常の覚悟をもって改革に臨んだのです。 天保の改革は、享保・寛政の両改革を政治理想としてはいるものの、それらとは比較にならぬほど急激・峻厳な改革でした。 大御所時代の自由な消費生活に馴れ親しんだ人々は、改革のあまりのすさまじさに恐れたじろぎ、 「士農工商おしからめておのゝくばかり」 片山賢『寐 ね ぬ夜の須佐美(すさび)』 であったとされます。 結局はその「劇薬」のすさまじさゆえに、天保の改革は短期間で失敗に終わってしまいました。 次に、改革の諸政策をひとつひとつ見ていきましょう。 少しでも贅沢 ぜいたく ・奢侈 しゃし と見なされると、厳しい取締りの対象になりました。 たとえば、女髪結い おんなかみゆい 、娘義太夫 むすめぎだゆう。義太夫節を若い女性がうたうもの 、富くじ、混浴等は贅沢ないし風俗を乱すものとして禁止。 また金・銀具の装飾品、絹地の衣服、値段が張る初物 はつもの などの贅沢品は売買禁止。 こうした生活の細部にわたる倹約の強制と風俗の取締りは貨幣経済を停滞させ、その悪影響はまたたくまに江戸市中に及びました。 かつて賑わいを見せていた江戸の各市場では閑古鳥が鳴き、 さびしさは鳥も肴 さかな も売れかねし 日本橋の秋の夕暮れ と嘆く有様。 商工業者たちが離散状態になるほどの深刻な不景気に見舞われました。 《 行きすぎた風俗取締り 》 忠邦の徹底した質素倹約の強制には、行きすぎや言いがかりと思える事例も目立ちます。 たとえば、 歌舞伎の芝居見物には1両ほどもかかり、上層町人など裕福な者しか見ることができませんでした。 忠邦はこれを贅沢だとして、弾圧したのです。 また、忠邦は、歌舞伎を風俗紊乱(ふうぞくびんらん)の元凶と決めつけ、中村座 堺町 ・市村座 葺屋町 ・森田座 木挽町 のいわゆる江戸三座を場末の地 浅草猿若町 に強制移転させました。 歌舞伎役者が市中を歩く際は編笠(あみがさ)の着用を強要し、贅沢な暮らしぶりを理由に人気役者の市川海老蔵 5代目 を「江戸十里四方追放 江戸40km内に立ち入ることを禁止 」に処しました。 忠邦はまた、 寄席の撤廃まで命じました。 落語・講談・手品などを演ずる寄席は、最盛期には江戸市中に211軒ありました。 興行は昼席と夜席があり、夜席の木戸銭 入場料 はわずか50文ほど。 歌舞伎見物などできない庶民のささやかな娯楽の一つでした。 北町奉行遠山景元 とおやまかげもと。 1793〜1855 の猛烈な反対もあり、忠邦は寄席の全廃はあきらめましたが、存続を認可された寄席はわずかに15軒。 84〜85。 夕涼みの花火も、火災の危険があるという理由で禁止、見世先(みせさき)の碁・将棋も、往来の邪魔になるという理由で禁止。 こうして、庶民のささやかな楽しみがことごとく奪われていったのでした。 検閲態勢を強化した結果、 人情本(にんじょうぼん)作者の 為永春水(ためながしゅんすい。 1790〜1843)、 合巻(ごうかん)作者の 柳亭種彦(りゅうていたねひこ。 1783〜1842)らが筆禍をこうむりました。 人情本は、婦女子をおもな読者対象とする会話主体の絵入り恋愛小説です。 為永春水は、自身の代表作『 春色梅児誉美 しゅんしょくうめごよみ 』の人気に乗じて、同趣向の作品を「為永連 ためながれん 」とよばれた弟子たちとともに粗製濫造し、次第に読者におもねって官能的な描写に走るようになりました。 幕府は、これを「色情 しきじょう の義を専 もっぱら に綴 つづり 、好色本 こうしょくぼん ニ紛敷 まぎらわしく 、婦女子等へは以之外 もってのほか 」 『市中取締類集』 と断じ、春水に手鎖 てぐさり 50日 50日間、手鎖によって両手の自由を奪う刑罰 を命じました。 一方、柳亭種彦が書いた『 偐紫田舎源氏 にせむらさきいなかげんじ 』は、紫式部の『源氏物語』の舞台を平安時代から室町時代に移した翻案 ほんあん 小説です。 将軍足利義政の子、足利光氏 あしかがみつうじ が恋愛遍歴をよそおいながら、将軍家の重宝を盗み出して将軍位を狙う山名宗全 やまなそうぜん と対決していくという物語でした。 豪華な装丁が倹約令に違反しており、また種彦が将軍お目見えを許された旗本 本名、高屋知久 たかやともひさ だったこともあり、その内容が大御所家斉の派手な大奥生活を描写しているとの風評がたちました。 ちなみに、家斉には本妻以外に40人に及ぶ側妾 そくしょう がおり、早世者を含めて55人に及ぶ子女がいたということです。 絶版に処せられたため、『偐紫田舎源氏』は未完に終わりました。 組頭を通じて譴責を受けた種彦は筆を折り、そのショックのためか、まもなく病死してしまいました。 また、さまざまの 物価引下げ令を出して諸物価・賃金・家賃などの強制的引き下げを命じたり、貨幣の交換比率を「金1両=銭6貫500文」とするように強制して銭相場を高く設定することにより、物価の下落をはかりました。 一時的な効果はあったものの、根本的な解決にはなりませんでした。 その原因を株仲間の独占にあると判断した忠邦は、1841 天保12 年、 株仲間の解散を命じました。 従来、株仲間を通じて行っていた商業統制を、幕府による直接統制に切り替えて、物価の安定を狙ったのです。 しかし、この政策は失敗で、かえって商品流通の混乱を招く結果となりました。 それからちょうど10年たった1851 嘉永4 年、幕府は 問屋組合再興令を出して、株仲間の復活をはかりました。 ただし、この時には新しい商人層の仲間参加を認め、冥加金納入の義務もありませんでした。 工事の目的は3つありました。 第1は、洪水の防止です。 江戸の町を洪水から守るために、家康は利根川付け替え工事を行わせました。 その結果、江戸の町の被害がなくなった一方、この地帯が洪水常襲地帯となっていたのです。 第2は、干拓によって新田を開発することでした。 新田開発によって、貢租収入の増加を見込んだのです。 これら、二つの目的は、田沼時代にも意図されたものです。 しかし、天保改革時には「外患に対応した新たな内陸水路の開発」という第3の目的が浮上します。 アヘン戦争 1840〜42 は、日本も外国に侵略される危険性があることを示唆しました。 こうした中、幕府は避戦の立場を取り、 異国船打払令を撤回して 天保薪水給与令 1842 を発し、対外政策を従来の強硬策から穏健策へと方針転換しました。 しかし万が一にも戦争になり、外国艦船によって江戸湾を封鎖されでもしたら、江戸の人びとの生活はたちまちのうちに破綻してしまいます。 東廻り航路による東北からの物資も、南海路による大坂からの物資も、いっさい江戸に入って来ないのですから。 こうした危機に対処するため、幕府は、関東地方の地回り物 じまわりもの を江戸へ輸送する内陸水路の開削を目指したのです。 「江戸湾を経由しないで、江戸への物資補給路を確保する」という幕府の意図は、「堀割 ほりわり。運河 の広さを10間 じっけん。約18m にし、高瀬舟 たかせぶね。荷物運搬用の川舟 二艘が行き違える広さを確保せよ」と命じていることからもうかがえます。 しかし、この新たな内陸水路は完成しませんでした。 8割方が完成した時点で台風による高波のために堀割が破壊され、また忠邦が失脚したために工事自体が中止になってしまったからです。 下層民の増大は江戸の治安を悪化させただけでなく、飢饉など何かきっかけでもあれば都市騒擾に直結する危うい状況をつくり出していました。 一方、農村からの激しい人口流出は、田地の荒廃による生産力の低下、ひいては領主の年貢収入の減少をもたらしました。 事態の急迫を憂慮した水野忠邦は、1838 天保9 年には諸国代官に、1841・42 天保12・13 年には町奉行に、江戸人口の減少策と農村人口増加策を諮問しました。 そして1843 天保14 年、 人返しの法を発するのです。 その内容は、農村から江戸への新規移住の禁止、出稼ぎ人に領主の免許状取得を義務づけ、人別改めの強化、江戸に入り込んだ単身者の帰国、などでした。 寛政改革時の旧里帰農令 1790 は強制力がなく、出願者がほとんどいなかったため効果があがりませんでした。 今回の人返しの法には強制力があり、また全国の農村や上方の諸都市においても実施されたため、ある程度の効果をあげました。 しかし、その効果は一時的なものにとどまりました。 これを「 三方領知替え」といいます。 江戸時代、三方領知替えは7回行われました。 決して珍しいものではありませんが、従来の三方領知替えは、大名の処罰などやむを得ない事情によって行われました。 しかし今回は、川越藩が徳川家斉の息子を養子に迎えたことを利用し、豊かな土地へ国替えして欲しいとする働きかけがあって命令されたのです。 つまり幕府の命令は、大御所家斉の子女を養子に迎えた川越藩を露骨に優遇し、何の落ち度もない庄内藩を収入が劣る土地へ移動させるという、きわめて不公平なものだったのです。 幕府の依怙贔屓(えこひいき)に反発した大名たちは、三方領知替えの理由を問いただす文書を幕府へ提出しました。 また、庄内藩では三方領知替えに反対して、領民たちまでが百姓一揆をおこす始末。 将軍家慶は、三方領地替えの強行は困難との判断を下しました。 そこで、水野忠邦の反対を押し切って、その実施を撤回させたのです。 幕府がいったん命じた転封を、大名や領民の反対にあって撤回した例はこれまでありませんでした。 三方領知替えの撤回は、幕府権力の弱体を露呈する結果となりました。 表向きには、幕府財政補強のために、租率の高い領地を幕領に組み入れるとの主旨を述べています。 しかし、実際には将軍の転封 領地替え 権を大名・旗本に再認識させて幕府権力の強化をはかり、また外患に対応して江戸・大坂の防備を固めようとしたものでした。 ところが、予想以上に譜代・旗本の反発が激しく、将軍家慶によって撤回されるに至りました。 将軍の命令に最も忠実であるはずの譜代・旗本に対してさえ、転封権を行使する権力が幕府にはなくなっていたことが露呈されたのです。 幕府権力の衰退は、もう隠しようがないものとなっていました。 上知令の失敗は、忠邦失脚の原因となりました。 本令が出されたのが天保14(1843)年の8月18日、撤回されたのが同年閏 うるう 9月7日、そして閏9月13日に忠邦は罷免されてしまったのです。 そこへ、越前守 忠邦 老中罷免の報です。 今までの鬱憤を晴らそうと、数千に及ぶ群衆が、どっと忠邦の役宅に押し掛けました。 そして、屋敷に向かって、さんざん石を投げ込みはじめたのです。 これを制止しようとした辻番所(つじばんしょ)は人びとにうちこわされ、大騒ぎとなりました。 次の落首は忠邦引退を詠じたもの。 世人の不満の大きさがわかりましょう。 越前の御難は九月十三日、牡丹餅 (ぼたもち) ならで石々 (いしいし) が降る (日蓮の佐渡流罪に際して、一人の老婆が日蓮に餅を差し出した。 日蓮宗徒がこの「御難の餅」の故事を偲んだのが9月12日。 忠邦の老中罷免は閏9月13日であった。 石々は女性言葉で団子のこと。 石礫(いしつぶて)と意趣(いしゅ)をかけている) 石は飛び番所は壊す世の中に、何とて越は腹を切らない (こんなに非難囂々(ひなんごうごう)なのに、なぜ責任を取って忠邦は切腹しないのだろう) これからは三度の飯もくひかねて、湯でものまれぬ水野越前 (「水の一膳」をかける).

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